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毎月ことば

舞台と日々のあいだに、残しておきたい言葉。

2026-09-09

客席の視線と舞台上の演者を同時に描いた、水墨画風の絵

9月の言葉「離見の見」

世阿弥は『花鏡』で「離見の見(りけんのけん)」を説きました。自分の目で見ている自分から少し離れ、客席から見える自分と舞台全体を見なさい、という教えです。自分の姿を自分で見ることはできないからこそ、お客様の目で見る努力がいるのだと思います。 舞台人には、とても大切な視点です。でも、「舞台の上でこうしなければ」と思っているあいだは、なかなか身につかない感覚でもある気がします。幽体離脱のように、自分の外にもうひとつの目があるような感覚。けれど結局は、「お客様から見てどうなのか?」という問いに行き着くのだと思います。 演出家や指揮者、プロデューサーや経験豊かな先輩の言葉に耳を傾けることは、舞台をつくるうえで欠かせません。けれど、その選択が客席からどう見えるのか。一人の観客として本当に面白いのか。そこを自分でも問い続け、最適解を身につけなければいけない。 不思議なことに、この二か月ほど、10月に参加する市川の公演も含めて、「オペラ歌手100%」ではない仕事を一緒にしよう、と声をかけてくださる方が増えました。「MO-TOYさんに話してみれば、もしかしたら!」と思っていただけることが、とてもありがたいです。 自分ではそこまで意識していなかったけれど、僕は人から見ると、少し変わった存在なのかもしれません。これも、自分に向ける「離見の見」。自分には何があり、何を求められているのか。 「離見の見」とは、舞台の上だけの特別な技ではなく、リアルタイムで自分と周りを棚卸しし、整理し続ける行為なのかもしれません。そうして見つけた自分の役割を、次の舞台へ持っていきたいと思います。

2026-08-31

花が咲く山道を、扇を手にした人物が進む水墨画風の絵

8月の言葉「住する所なきを、まず花と知るべし」

「住する所なきを、まず花と知るべし」――世阿弥は、同じ場所や形にとどまり続けないことこそ、芸の「花」だと説きました。 受け継ぐべき型を大切にしながらも、そこで止まらない。時代も自分も変わるなかで、次の表現を探し続ける。その動きのなかに、花は生まれるのだと思います。 8月は、僕の誕生日です。48歳になりました。 48年間、本当にたくさんの方に力を貸していただきました。舞台で出会った方、声をかけてくださる方、一緒に作品をつくってくださる方。あらためて、心からありがとうございます。 48歳になっても、芸はまだまだ未熟です。けれど、これからも伸びしろしかない、と本気で思っています。AIという新しい技術に触れ、自分にできることも少しずつ増えてきました。 一つのやり方に住みつかず、貪欲に学び、試し、つくること。その先で、誰かの顔がほころぶような時間を届けたい。 これからも変化を楽しみながら、舞台と制作活動を続けていきます。

2026-07-01

分かれ道の前に立ち、光の差す道を見つめる人物を描いた水墨画風の絵

7月の言葉「男時・女時」

「女々しい」「雄々しい」などという言葉があるように、かつては男の役割、女の役割が強く決められていた時代がありました。 今は、男か女かという括りだけで人となりを考える時代ではありません。けれど世阿弥は、その時代に「男時」「女時」という言葉で、芸における攻め時と守り時を語りました。 勢いに乗り、前へ出るべき時がある。一方で、思うように進まない時には、焦らずに力を蓄え、次の時を待つことも必要になる。 今月から、私を取り巻く環境が大きく変わりつつあります。だからこそ今は、ただ守りに入るのではなく、新しい表現へ挑戦する時なのだと思います。 すぐに結果にならない挑戦もある。それでも、まだ知らない声、身体、ことばに触れることは、自分の中の財産を確実に増やしてくれる。 女時を越えた先に、男時が来る。その巡りを信じて、いま出来る稽古を重ねながら、次の舞台へ進みます。

2026-06-08

客席の人々に支えられながら舞台へ進む演者を描いた水墨画風の絵

6月の言葉「衆人愛敬」

「鬼神の妻」の公演を迎え、あらためて思いました。 今回は本当にたくさんの方の支えで、公演日を迎えることができました。出演者、スタッフ、関係者の皆さま、そして足を運んでくださった皆さまへ。心から感謝申し上げます。 世阿弥の伝書には、「衆人愛敬」という教えがあります。芸は、人に愛されてこそ舞台に立ち続けられる。その厳しさと大切さを言い表した言葉だと、私は受け取っています。 どんなに名人であっても、人に愛されなければ舞台には立てない。いわんや、まだ名人ではない私たちは、なおさらです。 そして、人に愛されるためには、まず自分が全力で人を愛すること。相手の仕事を敬い、支えに感謝し、同じ舞台をつくる人の力を信じること。その積み重ねが、きっと客席にも届くのだと思います。 最近は、舞台の上で笑顔でいることについて考えます。笑顔は飾りではなく、ここに立てる喜びと、目の前の人への敬意が、ふと表れたものなのかもしれません。

2026-05-01

舞台に立つ人物と、枝に咲く一輪の花を描いた水墨画風の絵

5月の言葉「誠の花」

世阿弥は『風姿花伝』で、移ろう若さの華やかさとは別に、歳月を重ねてこそ現れる「誠の花」を語っています。 四十四、四十五になったころ。若い人たちのまぶしい勢いや、みずみずしい声を前にすると、自分は少し色褪せたように思える瞬間があります。けれど、その先にこそ本質があるのかもしれません。 若い人たちは、若い人たちの花を咲かせる。だからこそ私は、比べるのではなく、確実に舞台に立ち続ける人でありたい。 昔、鴻上尚史さんの舞台に触れていたころ、「立ち続ける」ことについて何度も考えさせられました。舞台に立ち続ける。それは思っているより、ずっと難しい。 立ち続けるには、ただ同じ場所に留まるのでは足りない。稽古を重ね、自分の癖や甘さに気づき、毎回もう一度、自分自身に挑戦する。 そうして積み重ねた先に、若さだけでは届かない「誠の花」が咲くのだと思います。

2026-04-01

余白の多い舞台に座る能の演者と、淡い金の花を描いた水墨画風の絵

4月の言葉「秘すれば花」

「秘すれば花」は、世阿弥が『風姿花伝』で説いた芸の心得です。\n\nここでいう「花」は、ただ派手なものではありません。見る人の心を、不意に動かす新鮮な魅力のこと。だから世阿弥は、すべてを見せ切らず、少しを秘めることに花が宿ると考えました。\n\nぼくらパフォーマーにとって、「秘する」はなかなか難しい。どうしても我を出したくなる。うまくやろうとして、全力で見せたくなる。\n\nでも不意に、ほとんどのことをやめてしまったときがあります。声を盛らない。動きを足さない。思いを説明しすぎない。\n\nその静けさのなかで、あれほど懸命に「表現しよう」としていた本質に、かえって近づけることがある。\n\n隠すために小さくなるのではない。まだ見せないものを抱えて、舞台に立つ。そこに、花は咲くのかもしれません。

2026-03-01

石橋を渡る二頭の獅子を描いた、水墨画風の絵

3月の言葉「石橋の教え」

能「石橋」には、こんな戒めがあります。 獅子は、小さな虫を食べるときでさえ、まず勢いをなす。どんなに小さなことにも、全力で向き合うというたとえです。 石橋は、少し修行を積んだからといって簡単に渡れる橋ではありません。芸も同じ。小さな舞台、小さな役、一本の稽古にも慢心せず力を注ぐ。 その積み重ねの先にだけ、渡るべき橋が見えてくるのだと思います。

2026-02-04

墨の飛び石と、小さく芽吹く若葉を描いた水墨画風の絵

2月の言葉「初心忘るべからず」

世阿弥の有名な言葉、「初心忘るべからず」。多くの人はこれを「始めたばかりの時の情熱を忘れるな」という意味で使いますが、実は少し違います。 世阿弥が説いた真意は、「その時々の、自分の未熟さを忘れるな」ということです。 3つの「初心」 世阿弥は、人生には3つの初心があると言いました。 是非の初心:若い頃の、右も左もわからず失敗した時の恥ずかしさ。 時々の初心:年齢を重ねるごとに、そのステージで初めて直面する未熟さ。 老後の初心:老いてなお、新しい自分として振る舞う時のぎこちなさ。 未熟な自分を「更新」し続ける 「昔は良かった」と過去を振り返るのではなく、「今の自分も、まだ新しい挑戦においては誰よりも初心者だ」と認めること。 その「恥ずかしさ」や「うまくいかないもどかしさ」を忘れずに持ち続けることこそが、芸を、そして人生を停滞させない唯一の方法だと世阿弥は教えを説いています。 47歳。新しい表現に挑み、新しい発信を始める今。私もまた、この「時々の初心」を抱えて、ステージに立ち続けたいと思います。